考えたこと2

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国際人?
東京都では、都立高校の入試に英語スピーキングテストに7万人の受験生が参加したらしい。
主体は東京都教育委員会とベネッセだった。
でも、ベネッセは1回限りで降りたらしい。

慶応の認知科学の先生は、「致命的な愚策」と言っている。

「スピーキングを入試に導入しさえすれば国際人が育つというのはあまりに短絡的。受験生、保護者、都民、あらゆる関係者にとってコストは高く、犠牲は大きく、教育的なゲインはほとんど期待できない」

ということだ。

この人は「英語独習法」という本を書いている。

推進側は「スピーキングテストを入試に加えれば、子どもたちのスピーキング力がアップし、国際人になれる」という意見。

今回のテストは、タブレットに向かって話をして、それを採点するというやり方。
先生はタブレットに向かってミスなく話すことが、国際人になるためのスピーキング能力ではない、と言っている。

第2言語の習得は「スキーマ」の習得であり、このスキーマというのは「知識の枠組み」のこと。
これは言葉を操るためのシステムであって、言語を習得するということは、このシステムを作ることだという。
日本人は生まれてから日本語を話せるように、日本語のスキーマを作っている。

第2言語の場合は、母語のスキーマを参照しながらスキーマを作っていくというのが認知科学的な考え。
それを上手にやっているのはフィンランドらしい。
ポイントは、「語彙の学習を重視する」「同じ単語を様々な文脈で使う練習をする」「ライティングに力を入れる」の3つ。

語彙の学習、といっても、ただ暗記しても意味がない。
「wear」を例にとって説明している。

「 日本語の「着る」は、「上着を着る」というように、上衣を着用するときに使いますが、英語ではズボンや靴、ネックレス、メガネを着用するときにも、「wear」を使います。
 また、「制服を着なさい!」と言いたいときには、「wear」は使えません。「wear」は、「着ている」という「状態」を表す単語で、「着る」という「動作」を表すときに使われるのは、例えば「put on」です。
 ですから、「すぐに制服を着なさい!」を英訳するならば、「Put your uniform on now!」であり、「Wear your uniform now!」とは言いません。
 英語が母語の話者であれば、この2つの単語を取り違えることは、絶対にありません。けれど、日本語を母語とする人は、大学生でも当たり前のように、「Wear your uniform!」と、誤った英文をつくってしまいます。それは日本語のスキーマは、「着る」を、状態(wear)と動作(put on)で区別していないからです。
 このように単語ひとつをとっても、英語のスキーマを獲得しなければ、正しく運用できません。」

状態と動作の違い、というのがスキーマなのだろう。

また、スピーキングよりもライティングということについても、

「 英語は覚えることより使う練習をすること、すなわち「アウトプットの練習」を繰り返すことが大事です。言語のアウトプットには、スピーキングとライティングがありますが、小学校高学年以上の初学者は、スピーキングよりライティングに注力するほうがいいでしょう。
 なぜなら、スピーキングはリアルタイムで進行するので、時間を自分でコントロールすることができません。録音をしてそれを聞き直すのはよいですが、とても手間がかかります。また、タイムプレッシャーから、わかっていることでも思わず間違えてしまうこともよくあります。ライティングであれば、時間を自分でコントロールできますし、何度でも見直すことができます。先生に直してもらうことも簡単にできます。ですから、自分がどこで何を間違えたのかに気づきやすく、学びを深めやすいのです。
 このようにして生きた語彙の知識が育ち、それらを使ってある程度自由に英作文ができるようになれば、スピーキング力は飛躍的に伸びていきます。それまではライティングでアウトプットの練習をたくさんするほうが合理的です。」

要はリアルタイムで進むスピーキングよりも、ライティングの方が学びやすいということだ。
そういう努力が、第2言語のスキーマを習得するのに役立つ。

帰国子女にありがちなのが、英語のスキーマができていないけど、日常会話レベルの英語は流暢に話すというタイプ。
一方、日本にずっといても、英語のスキーマができている日本人の方が彼らよりも英語力が高い、という評価。

そこで先生が憂慮しているのは、タブレットに向かって話すスピーキングテストは、英語のスキーマの評価になっていないということが第一。

さらに、発音がいい人が高得点になりやすい、ということにも懸念を示している。
たしかに、発音が上手なことも大事なのだが、これは経済格差に影響されやすく、要は子ども英会話などに通わせられる家庭が有利ということだ。
そもそも、流暢に話すことが大事なのか、ということだ。

「 ネイティブのような発音で英語を流暢に話すことに憧れる人は多いと思います。けれど、社会に出て英語を使うときに、ネイティブ並みの発音や流暢さは、さほど重要ではありません。国際的な学会において、英語の発音で発表に対する評価が変わることはありませんし、それはビジネスや外交の場面でも同様でしょう。世界各国の人たちが、それぞれの「お国なまりの英語」でコミュニケーションを交わす今日、何よりも大事なのは、英語を使って話す内容と論理性。次いで語彙や文法の適切な運用でしょう。

 第2言語を学ぶ目的は、中身の乏しい内容を流暢に話せるようになることではありません。自分の母語のスキーマが規定する世界が「世界のすべてではない」と知り、他者、他文化の人の考えを考慮しながら自分の主張を論理的に、的確に伝えることにあると思います。それを理解する人こそが、国際人ではないでしょうか。外国語を学ぶということは、新たな「思考の枠組み」を、手に入れることでもあります。この視点が都教委の「ESAT-J」導入の決定には、まったく欠落しています。」

ぼくはこういう話を聞くと、いつも会社時代の上司を思い出す。
いつも、In japanではねぇ、と言って英語で話していた。
時々日本語が交じるのだが、そんなことは別に外国の人たちは気にしなかった。
日本人なのだから、当たり前だ。
それよりも、話す内容が圧倒的に重要だ。

ぼくらも外国人が日本語を話す時に、本当に流暢に話すことを期待しているだろうか。
おそらく、多くの人は流暢に話したということよりも、どういうことを話したのか、ということが大事だと思うはず。

上司は「In Japanではねぇ…」と言って話し始めていた。
それが興味深い内容であれば、外国人は聞く態度を示す。
いくら流暢に話しても、中身がなければ聞き流すのだ。

だからぼくは、流暢に話すことに力を入れる必要はないと思う。
かっこいい、ということはあるかもしれないが、そんなことは英語話者は期待していない。

やっぱり中身なのだ。
そちらを充実させることに時間をかける方がよほどマシだと思う。

ブロークンでもいいから、伝えたい内容がある方がかっこいいのだ。




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