考えたこと2

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歯医者
ぼくは目はいいのだが、歯が悪い。
何度歯磨き指導されても、直らない。
というか、こっちは真面目にやってるつもりなのだが、ダメなのだ。
そんなわけで、どんどん義歯が増えた。

こないだ歯医者に行って、治療を受けながらぼんやり考えていた。
ぼくが生きているのだが、この肉体は借り物ではないかいうことだ。
もちろん、そんなことはなく、肉体の死は精神の死だ。

でも、この世での借り物、という気持ちもある。
借り物の身体が、使い物にならなくなって、一部人工的なものが使われる。
それが義歯ということになる。

歯など、末端の部分はまだ入れ替えが効くが、身体の中心部がやられると、一巻の終わり。
ぼくの人生という物語の「一巻」が終わる。
二巻はない。
昔無声映画で、弁士が最後に話していたという。

今まで歯医者でそんなことは考えたことがなかった。
特に、歯痛がひどかったときなど、早く抜いてくれと思ったくらいだ。
でも、今頃になると、なんとなく自分の身体の一部が使い物にならなくなるというのは寂しい。
「一巻の終わり」が近づいた、ということだ。

江戸時代など、隠居というのはせざるを得ないものだった。
なぜかというと、歯が悪くて人前で一緒に食事ができなくなったり、目が見えなくなったりしたからだという。
今でこそ、歯も目も治すことができるから、80歳、90歳になっても人前に出ることができる。
名実共に人生が長くなったのだ。

身体は借り物ということは、精神は別に存在してまた違う身体に乗り移るというようなことを考えているのかと思う。
死の問題がややこしいのは、だれも死んだことがないからだ。
死んだことがない、というのは死んで生き返った人がいない、ということ。
だから、経験談が聞けない。

それこそ、昔からいろんな哲学者や宗教者が言ってきた。
でも、最後の最後はわからない。
わかりようがない。

そうこうしているうちに、治療は終わった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
教員不足問題
19日の日経に「教員採用、民間と競う 選考早期化・外部人材起用」という記事が出た。
教職の人気が低迷し、小中高校の教員採用の仕組みが見直されるという。
見直しの主なポイントは選考の早期化と、外部からの起用、ということらしい。

記事によると、教員の質の低下はひどく、デジタル教育などの遅れも大きいという。
確かにいろんなところで漏れ聞く状況はひどい。
先生がいじめを主導したり、タブレットの使い道がわからなかったりする。

文科省の指導も無茶苦茶だし、教育委員会は閉じた組織になっている。
小学校の教員はプログラミングや英語もやらないといけない。
もともと、教員自身がそれらの知識がないのに、どう考えても無理だろう。
それを強行したのが、教育委員会や文科省。
土台無理な話なのだ。

今回の答申に関しても、柱の一つが採用試験の時期を民間に合わせて4月にするという案だが、そんなことで効果があるのだろうか。
教育現場を変えないといけないのに、それを単なる時期の問題に矮小化している。

もう一つの柱が、外部人材の起用。
さすがに今回の答申では「教職員集団の適度な多様性が必要」ということが書かれている。
これは一般教員免許がなくても教えられる「特別免許」を活用して、民間経験があって専門性が高い人材の採用を促したとのこと。
特別免許を授与する基準は公表するらしい。

これも、あくまで専門性を求めており、あまり効果がなさそうに思う。
すでに採用試験の倍率が下がり、質の維持などできない、という状況への改善は見込み薄だと思う。
小中高の教員は、教育委員会も含めて教員ギルドになっている。

もっと社会に対してオープンなものにしないと、職場環境は変わらないと思う。
そのためには、異様に低い民間企業経験者の比率を上げることだろう。
日本の教員は教員という仕事しか知らない。
流動性が低いのは、給料がいいこともあるが、一旦教員になったら他の仕事ができない、ということもある。
他の仕事をしようとしない、と言い換えてもいいかもしれない。

教員志望の人が減っているのは、単に長時間労働の問題だけではないと思う。
それは今までの教育の結果なのだ。
自分の学校時代の体験から、教員になりたくないと思う学生が増えているのだろう。

それを議論しているのが、教育関係者ばかりというのが間違っている。
本当に社会に認められる、オープンな組織を作らないと教員不足の問題は解決しないと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |