考えたこと2

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9060問題
うちの母は92歳。認知症で老人ホームに入っている。
ぼくは、来年で66歳。

年齢的には90代の親を60代の子どもが見ている、という9060問題になる。
以前、8050問題というのがあったが、そこから時間が経って、9060問題になった。

今年の1月に、ちょうどぼくと親子の年齢が同じケースで親が亡くなり、子どもが訪問介護の医師を撃ち殺したという事件があった。
同じような事件が起こっており、たいがい犯行は男性。
これが9060問題を表している。

うちの母の年金は、父がいろいろやっていたのでそこそこ多い。
だから、うちの母は2017年にサービス付き高齢者向け住宅に引っ越しをした。
坂の上にある家では、もう生活ができないと思ったからだ。
脳梗塞や心不全をやったことも一因。

それまでの実家には54年住んだ。
祖父が買っていた土地に、家を建てて引っ越したのがぼくが小学校1年の時だ。
まだ家の前の道が舗装されていなかったし、テレビは白黒だった。

母が実家を離れるときには、もっぱら生協の宅配で買い物をしていたのだが、同じものをいくつも買っていたりして、しんどかったのだと思う。
だからこそ、自ら近所のサービス付き高齢者向け住宅にかわったのだ。

そこでは食事は食堂で食べられるので、朝だけパンを焼いて食べ、昼晩の2食は頼んでいた。
毎月の家賃を払って、少し足が出るのだが、それは貯金でなんとかしのいでいた。
そうこうするうちに、大腿骨頭骨折というのをやって、入院した。

そこで環境が変わり、認知症が進んだ。
退院していろんなものが無くなったり、何度も電話がかかってきて「どうしてるんや」と毎回聞かれたりした。
何度か路上で倒れて、救急車で緊急搬送され、迎えに行ったりすることが増えた。

2020年にコロナになって、反対側の足の大腿骨頭骨折をやって、3ヶ月の入院したのが決定的だった。
ほとんど面会もできず、ケアマネからもうサービス付き高齢者向け住宅では対応できないという話をもらい、今の老人ホームに移った。
いろんな要因があるのだろうが、知り合いの誰とも会わないという環境は、認知症を劇的に進めたと思う。
そのころから、もうテレビも見なくなった。

そんなこんなで今は自由に外出できない老人ホームにいる。
それは良くないことだと思うが、ここまで行ってしまうとやむを得ないと思う。
幸い、母の年金額と貯金の額がそれを経済的に加納にしている。

冒頭の、訪問介護の医師を撃ち殺した事件は、子どもが無職で親が死ぬと年金もなくなり、自分が生活ができなくなる、という状況で起こった。
ずっと無職だったのかもしれない。
収入がなくなって、経済的に生きていけないということで、犯行に及んだ。

これが8050問題に続く9060問題。
それに関連して「親の死体遺棄」や「親の年金・生活保護費の不正受給」などの事件が後を絶たないという。

これが現代の日本の闇だ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
2000人の第九本番
今日は朝から大阪城ホールで第九の本番。
朝ホームページで、PCR検査の結果が陰性だったのを確認。

昨日と同じ、バスのソリストの斜め後ろに座る。
一般のコーラスの一番前だ。

午前中はゲネプロ。
本番どおりに通しで練習する。
アリーナから、スタンドに一時移って、布袋寅泰とピアニストの角野隼斗のステージを見る。
布袋はさすがに余裕のステージだった。
角野隼斗は初めて聞いたが、東大の情報関係の研究科を卒業して、ピアニストとしても頭角を現した。

布袋は自分の歌以外に、第九の演奏に加わって演奏もした。
角野はラプソディー・イン・ブルーをオーケストラと一緒に演奏した。
今回はゲストもすごく良かった。

3年ぶりにいいステージを見た。
その後、1回目の第4楽章。
Life is Synphony、という掛け声で始める。

ぼくは観客が入る前の、この時の歌がベストだった。
朝イチの練習の時に言われていたところも、よくできたと思う。

歌っているときに、落語をしている時のように、自分の外で自分を見るという感覚になった。
自分は一生懸命歌っているのだが、「ここはうまく歌い出しができた」とか、「ここのアルトは朝の練習の時より気合が入ってバッチリだ」とか、歌っている自分を離れて見ているのだ。
前に書いた「離見の見」というやつ。

第九も、動画投稿も入れるともう7回歌っている。
それくらい歌うと、「離見の見」の状態になることができるのかもしれない。

そういう時は、終わったときにすごく爽快になる。
このゲネプロの時の歌が、そうだった。

残念ながら、本番はもう一つだったが、自分が納得の行くコーラスができたのは、すごく嬉しかった。

コーラスでもそういう体験ができる。

今日はとてもいい日だった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |