考えたこと2

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コンマツ現象
その時、ぼくらはある問題について話しあっていた。

その問題とは、あるものが、ある日突然壊れてしまうという問題だった。

なぜそんなことが起こるのか、頭を悩ませていて、何人かが集まって会議をしたのだ。

みんな、真剣だった。理由もなく壊れるハズがない。結果には原因があるはずだ。

誰かが、過去に衝撃を受けていて、その履歴がものの中に隠れていて、ある日突然思い出すのではないか…と言った。

実際、そんな理由しか思い当たらず、誰もが頭の中にそんな考えは持っていたが、そんなことはないだろうと思って、言い出せずにいた…、そんな感じだった。

そうやろか…誰もが口の中で言葉にした時、その会議を仕切っていたFさんが、「それは、コンマツ現象やな」と真顔で言った。

コンマツ現象という言葉を聞いたことがなかったのだが、経験豊富なFさんが言うことだから、「はあ、そうですかね」…
と言いながら、コンマツとはどういうことだろう?どういう字を書くのだろう?何か横文字の略語だろうか…などを考えをぐるぐる巡らせたが、わからない。

どう考えてもわからなかったので、「あのー、コンマツ現象て、何ですか?」と聞いた。

Fさんはぼくより5年ほど年上で、関西出身である。

「コンマツやがな。むかし、大村昆がやってた、「番頭はんと丁稚どん」知らんのか?」という。

よく聞いてみると、むかしテレビでやっていた喜劇で、大村昆が、こん松という丁稚の役をやっていて、「コンマツ」はその「こん松」だという。

こん松は、いつも番頭はんになぐられるのだが、なぐられて、しばらくしてから、「痛い!」というギャグが定番だったらしい。
要は、そのこん松のように、衝撃を受けてから、しばらくして反応するということを、「こん松現象」という名前で呼んだだけ…ということだ。
知っているハズがない。
一同、あきれてしまったが、あまりにもマジメな言い方だったので、「ほー」としか言いようがなかった。

「こん松現象」という言葉、もちろん、グーグルで検索しても出てこない。
あの時の関係者しか知らない言葉だろう。

それにしても、あの時のFさんの言葉は忘れられない。

「それは、コンマツ現象やな…」

ちなみに、その問題は後日解決したのだが、「コンマツ現象」ではなかったということだけ、記しておきます。



| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェイル・セーフ
人間は完璧ではない。
人がやることには、必ずマチガイが起こる。
そんな当たり前のことが、なかなかわからない。

だから、フェイル・セーフという言葉がある。

「人はマチガイを犯すものだから、もしも間違っても、ここまでで止めましょう」という機構だ。

もちろん、機械に対してもフェイル・セーフという考えは適用される。

クルマのブレーキオイルの配管は、1本ではなく2本にしましょう、というのがそうだ。
もしも1本が切れても、もう1本の配管でブレーキに油圧をかけて、最低限止まることはできる。
それを一歩進めて、配管をクロスさせておく。
そうすると、片側だけがブレーキがかかって、危険な状態になることが防げる。
「万が一」というヤツだ。

パソコンで、ファイルを消去する時に、「ホントに消してもいいですか?」と聞くのは、人間へのフェイル・セーフだ。
誤って消去することを防ぐために、もう一度確認のウィンドウを開く。
2回間違えることはないだろう…というヤツだ。
それでも、毎回聞いてくると、いつものように何も考えず、OKのボタンをクリックしてしまう。
もう一段フェイル・セーフがあって、もしもOKをクリックしてファイルを消去してしまっても、「ゴミ箱」という入れ物に入るだけで、その中から出すことができる。
2段階のフェイル・セーフ機能ということになる。

やることが決まっていると、フェイル・セーフできるのだが、何をするのかわからないのが人間である。

規則にのっとって行動していないと、フェイル・セーフはできない…ということだ。

そのためには、経験をつむしかないのだろう。

経験が多いほど、自らにフェイル・セーフの機能が働くようになる。

その意味では、年を取るのも芸のうち…ということになる。

それでも、いつもやっている仕事でも、どうして?…というマチガイを犯してしまう。

そこに、経験だけではない、「センス」とかいうものが顔を出すのだ。

センス…日本語にすると、「感じること」。

それは、天性の才能なのかもしれない。

どうやったら、センスは磨けるのだろうか。

これは、生きていく上で、すごく大事なことだと思うが、難しい。




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