考えたこと2

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70年代と今 2 ステレオのこと
70年代の音楽の事を書くなら、どうやって音楽を聴いていたか、ということについても書かないといけない。

前回書いたように、音楽といえばレコードだったから、聴くためにはレコードプレーヤーが必要だった。70年代の初めには、今のようなラジカセなどなく、音楽を聴くためにはステレオが必要だった。コンパクトで手軽なものなどなく、レコードプレーヤーとアンプ、チューナー、スピーカーがセットになったものか、各々別々に買うか、いずれかだった。

当時の国内ブランドはソニー、テクニクス、ダイヤトーン(三菱)、ローディ(日立)、オプトニカ(シャープ)、オットー(三洋)パイオニア、デンオン、トリオ、サンスイ、オンキョーなどなど。
他にもたくさんあったけど、忘れた。
今はもう無いブランドもたくさんある。
それほど、音楽を聴くための装置も変わってしまったということだろう。

ウチはサンスイのアンプとスピーカー、パイオニアのレコードプレーヤーだった。
スピーカーの大きさは幅30センチ、高さ70センチ、奥行き30センチくらいはあったと思う。
あとで、72年か73年にソニーのステレオカセットデッキが我が家に来た。
今の小さなCDラジカセの倍くらいの大きさで、単にカセットに録音できるだけ(スピーカーも付いてない)というものだったが、画期的だった。それでも、レコードに比べると、音質は明らかに悪かったけど。

とにかく、レコードを聴くためには、お手軽ではない装置が必要だった。

音楽をお手軽に聴くためには、もっぱらラジオを聴いた。
深夜放送が多かった。当然AM放送。洋楽と邦楽が半々だった。英語などわからなくても、みんな洋楽を聴いていた

FM大阪が今年開局35周年だから、開局したのが1970年。当時はFMラジオというものが出始めだった。ラジオのカタログに、FMステレオ放送とは?というような事が書いてあったっけ。
あれから35年経って、放送局が3つほど増えただけというのは寂しい。

月刊STEREOという雑誌を時々買った。今のパソコンの雑誌と同じく、ほとんど広告だった。広告を見るのが楽しかった。
雑誌売り場にはステレオ関係の雑誌があふれていた時期だった。
中学、高校の頃は、三宮の星電社に行っては、ステレオ関係のカタログを集めた。ただで、かなり読むところがあって、すごく楽しめたものだ。
70年代の神戸で、電化製品といえば、三宮の星電社だった。(少なくとも我が家では)

・・・というような思い出話にすぐ走ってしまう。

要は、レコードを聴くという事は、今よりはたいそうな事だったということだ。

その当時の「ステレオ」という言葉には、カリスマ性があったと思う。
値段も高かったし(もちろん、中学生が買えるような代物ではない)、親が興味がなければ、説得して買ってもらうのは困難だったろうと思う。
ウチの場合は、親父が会社の同僚か誰かに言われて、あった方がいい、というような事になり、僕がカタログを集めた、というラッキーなケースだった。(ウチの親父は機械オンチだったが)

ハイファイ、という言葉にすごいあこがれがあった。
ハイファイというのは、ハイ・フィデリティの略で、高忠実度、ということ。レコードが録音された状態を忠実に再生する、という意味である。

スピーカーも一つの箱に、高音用と低音用の2つ付いているものや、さらに中音用と分けて3つ付いているものなど、色々と出ていた。おまけに、それぞれのスピーカーを別々のアンプで駆動する、というようなものまで登場した。
(そのころに、やっとラジカセが登場したと思う。70年代の中頃か・・)

「ステレオ」にはそういう意味で、メカに対する夢があった。
単に音楽を聴ければいい、というものではなく、どのメーカーの、どんな技術の、どんなデザインか・・というような思い入れがあり、それが「音楽」につながっていたと思う。
(個人的にそうだ、ということだけではなく、70年代初めの頃は、多くの人たちがそうだったと思う。)

音楽を聴く、という行為にはこのような背景がぶらさがっていたのだ。

レコードをジャケットから取り出し、慎重にレコードプレーヤーに載せ、ターンテーブルが回りだし、ゆっくりとレコード針をのせる・・・という一種の儀式は、「ステレオ」という装置への思い入れと、今から聴く音楽への期待で、ある種の緊張を伴った行為だった。
これだけの儀式をしてレコードを聴いても、たった片面20分程度で必ず終わり、連続で1時間も2時間も聴けるようなものではなかった。曲の順番を変えて聴くなどできないし、気に入らないから曲をとばす、というような事も面倒なことだった。

それでも、自分のレコードを聴くという瞬間は、やはり、所有する喜び、というものにつながっており、70年代の音楽は、やはり所有されるモノだった。

所有するモノ・・・今はどうなのか?

| | 音楽 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |