考えたこと2

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弱いロボット
うちにも掃除機ロボットのルンバがある。

よく名前をつけている人がいるというが、そんなことはしていない。
それほど情は移ってないと思う。

それでも、毎回掃除をした後は、ゴミを捨ててフィルターを掃除する。
普通の掃除機なら、毎回ゴミを捨てるほどたまらないが、ルンバはゴミを溜めるところが小さいので、毎回掃除が必要になる。

動いているのを見ていると、なかなかマメなやつだと思う。
何度も行ったり来たりしながら掃除をする。
シャープのロボットのように話したりしないが、動き始めの音楽はなかなかいい。
充電ステーションから出て、また充電ステーションに帰る。

このロボット掃除機には、いろんな珍現象があるという記事があった。

「・テレビや洗濯機などの一般の家電製品が壊れて修理に出す際、「壊れると困る」「なんで壊れるんだ」など苦情を言われるのに、ロボット掃除機はそういう苦情はなく、「直してあげて」と依頼されることが多い。
・製品が壊れて直せないとき、他の家電製品では代替の上位機種と交換してあげると喜ばれるのに、ロボット掃除機については「交換しなくてもいい。この機種でいい」と言われることが多い。ロボット掃除機に絆創膏が貼られたりすることもある。」

その気持ちはよくわかる。
愛着がわくのだ。

その上、ロボット掃除機が掃除しやすいように物をどけたり、家具の配置を変えたり、部屋から外に出したりする。
そういう気持ちにさせる魅力が、ロボット掃除機にはあるのだろう。
記事にはこう書かれている。

「目の前で動き回る健気なお掃除ロボットに『してやられた感』を覚える」との感想を語るのは、岡田美智男 豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授だ。ロボット掃除機の内部に集められたホコリや塵の量を見て、思わず「よく頑張ったね」と労いの言葉をかけてしまう。ロボット掃除機との同居を始めてみると、部屋の隅のケーブル類を巻き込んでギブアップしないように、もしくは椅子と壁との袋小路に入り込んでしまわないようにと、いろいろと気を使ってしまい、「これでは主客転倒だ」と思いつつも、これはこれで許せてしまうのだという。
 ロボット掃除機は、自分ですべてを完璧にこなすのではなく、少し力を抜くようにして、半ば周囲に委ねている。人間もロボット掃除機に手を焼きつつ、それに半ば支えられるように、一緒に部屋をきれいにすることを楽しんでいる(人間には、ロボットを世話したり、関わり合いたい、という欲求があるようだ)。
 人間を味方につけながら部屋をきれいにすることを実現してしまうのだが、こうした他力本願とも言える姿勢はなぜか微笑ましく、自分だけで解決することにこだわったやり方に比べるとスマートにも思える。」

これは当たっている。
ロボット掃除機は不完全な掃除機だ。
物理的に掃除ができない空間があったり、脱出に苦労しそうな空間があったりする。
それを理解すると、人間はそういう空間を作らないようにするのだろう。
その時に掃除はロボット掃除機との共同作業になる。
書かれているように、関わりたい、と思う。
だから、感情移入してしまうのだ。

ネコもロボット掃除機が好きだという。
動いている掃除機に乗っている動画もある。
ペットも気に入っているのだ。

ダイソンが満を持してロボット掃除機を出すという。
ムダのない動きで掃除を短時間に終わらせるらしい。
たしかに、ダイソンのモーターは吸引力が素晴らしく、だから電池を使える時間も短いから、充電回数を減らすために必然的にそうなるのだと思う。

ただ、あまりにも無駄なく掃除をしてしまうと、却って可愛げがなくなるのではないか。

この記事の最後にあるように、「自分自身の弱さを自覚しつつ、いかに他との関係性を志向できるか」という発想の大切さや、何か共通の目的(例えば、部屋をきれいにする)を持つことが人と人の関係を作る上での基本であること」をよく考えたほうがいい。

これからの家電ロボットは、そういう弱さを持っているロボットだろうと思う。

ルンバの日本での成功は、そこにもあるのだろう。


| | 考えたこと | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドイツ人
ぼくはイギリスも好きだが、ドイツも好きだ。
ぼくの知っているドイツ人は、イギリス人に比べてお茶目なところはないが、有能だし、信頼がおけるという印象。
そして、ドイツ人は親日のイメージがある。
同じ第二次大戦の敗戦国だからというのがあると思う。
何となく親近感があるのだろう。
実際、戦時中にUボートに乗って神戸に来たことがある、というドイツ人もいた。

日本とドイツは似ているところがある。
どちらも勤勉だし、工業製品のレベルが高い。
敗戦後まもなくどちらも復興した。

それでも、ドイツ人のビジネスマンが興味深いことを書いている。
働く時間が全く違うのだ。
彼はこう書く。

「フルタイムでホワイトカラーの仕事があって、毎日夕方5時に定時で帰宅できる日本人を、皆さんは何人知っていますか?夕方7時に帰宅できる人はいますか?私は、東京でそのようなサラリーマンに1人として出会ったことがありません。でもドイツでは、コンサルタントや弁護士などの専門職や経営陣でない限り、従業員は大抵夕方5時か6時に帰宅して、家族と夕飯を食べたり、友達に会ったりします。しかも日本と全く逆で、仕事への責任が比較的少ない若手社員であるほど、これに当てはまるのです。」

それを裏付ける証拠が、OECDの労働時間の比較。
この公式労働時間の比較で、ドイツは日本よりも年間350時間も労働時間が少ない。
なおかつ、日本の値にはサービス残業は入っていないから、実際の差はもっと大きいだろう。

ドイツでは3週間のバカンスがある。
あるというか、これは連邦休暇法とやらで、法的に24日連続でとらないといけない、という休みらしい。
国民の間に、そういう休みがあるというコンセンサスができている。
だから、夏のバカンスで誰それがいない、となって仕事上の問題があっても、文句は言わない。

「経営者でない限り、休暇中のドイツ人に仕事の連絡をすることはできません。これは強く守られた慣行であり、ドイツ人は誰もがこれを理解しています。」

そうだろうなあ。
そうでなければ、なかなか3週間もバカンスが取れない。
今はやりのワーク・ライフ・バランスについても、こんなふうに言っている。

「言い換えれば、ドイツ人は、生きるために仕事をしているのです。日本人はというと、時折逆で、仕事をするために生きているように見える、といっても言い過ぎではないでしょう。「ワークライフバランス」が日本のホットトピックではありますが、日本でのこの言葉の使われ方に、ドイツ人は度々驚くことがあります。

 それは、ほとんどの日本人が、「ワークライフバランス」とは、女性が仕事をしやすくするために、デイケアを提供することなどだと思っているようだからです。つまり、「仕事」と「子育て」をバランスさせるのです。しかし、ワークライフバランスは、女性のためだけではないのはもちろんのこと、より長い時間労働するためにサービスを提供することでもありません。ドイツ人は、はっきりと、40時間を企業に捧げることこそが「仕事」であり、それ以外が「遊び」であると考えています。「ワークライフバランス」というのは、人生をどう、仕事と趣味に分けるかを指しているのです。」

もちろん、豊かでなければこんなことは言えない。
でも、週に40時間働いて、実際にドイツは豊かになっている。
ぼくは会社勤めしていた頃、だいたい週60時間〜70時間ほど働いていた。
いや、働いていたというのは言いすぎだ。
そんなに集中して働けない。
会社にいた、というべきか。
もちろん時間外手当はつかない。

時々、こういう比較の話を聞いて思うのだが、ぼくは会社にいるのが好きだったと思う。
会社が全てという感じだ。
そういう風になってしまうのだ。
会社で気のあった仲間とだべっている間にいい考えが浮かぶとか、どうやったらこれを解決できるかとか、そんなことは就業時間中に考えられなかった。
やることがいっぱいあったからだ。
それらを片付けたらもう5時になる。
だいぶ言い訳が入っているが、そんなところもあった。

だから、社会のシステムも違う。

「長年の間、ドイツのお店の営業時間には厳しい制約がありました。全てのお店は、平日は午後6時30分に、土曜日は午後2時に、日曜日は全日、閉店しなければいけませんでした。現在この制約は改定され、多くのお店はもっと遅くまで開いていますが、いまだに日曜日はお店を開いていません。さらにドイツのお店では、サービスが失礼であることが多いです。午後6時20分にパン屋に着いた場合、パン屋さんに、お店に遅くやってきたことを非難されるかもしれないばかりか、レジが閉まっているからと、何も売ってくれないことさえあります。

 ちなみに、労働時間と閉店時間における制約は、関連しています。スーパーが午後6時30分に閉まるなら、人は自然とそれより早い時間に帰宅し、帰り際にスーパーに寄って夕飯を買うからです。そして、ドイツにはまだ、24時間営業のコンビニはありません。」

日本は便利になりすぎたのだ。
24時間営業のコンビニは言うに及ばす、スーパーでも10時まで開いているし、正月も営業するところも多い。
昔は1月1日から3日までは店が閉まっていて、食料品も買えなかった。
だから、餅とおせちを食べたのだ。
今はそれが食べたくなければ、コンビニに行ってパンを買えばいい。

24時間営業のおかげで、犯罪も増えた。
開いているところがなければ、うろつく人は減るだろう。

手始めに、店は8時には閉める、という法律を作ってはどうか。
もちろん、一部の飲み屋などはOKだが、それ以外の日用品や食料品を売る店は取り締まる。

そうすれば、大学生のバイトも減るから、みんな勉強するし、早く帰らないと買い物ができないから、帰る時間も早くなる。
電気代のムダも減る。

テレビ放送も12時にやめればいい。
今はビデオとかあるから、くだらない放送はやめたらいいと思う。
何ならネットも止めたらいいのだ。
プロバイダ法を作って、12時から5時は止める、という風にすればいい。

いろんなことが不便になる。
でも、不便さをガマンすることで、いいこともあるのではないだろうか。

この際、ドイツ人に習おう。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |