考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< July 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
3Cの時代
朝のドラマでは時代が進み、「3Cの時代」が来た。

第一次の電化製品は「三種の神器」と言われていた。
1950年代後半。昭和でいうと25年くらいからになる。
普及にだいぶ時間がかかった。

冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ。
今は当たり前になっているが、そのころは誰もが購入を夢見た時代だった。
友達の家にテレビが来て、見せてもらいに行ったのが昭和36年。
普及にだいぶ時間がかかった。
当時の我が家のテレビデビューは昭和37年あたりだと思う。

3Cの時代は昭和42年あたりから始まる。
Car、Cooler、Color TVの頭文字を取って3Cと言われた。

平成の人には想像できないと思うが、昭和のぼくは3Cの時代は知っている。
ちょうど小学校高学年のころ。

ウチは両親がクルマに乗らなかったので、クルマが来たのはぼくが免許を取ってからだった。

クーラーは両親の部屋につけたのが、いつ頃だろう?
ぼくが高校のころか?
昭和40年代の終わり頃だと思う。
当時の夏は今ほど暑くなかった。
アスファルト舗装も少なかったし、今みたいにどんな店でもクーラーをつけているわけではなかったし、緑も今より多かった。
だから、夏は窓を開ければマシだった。
事情があって窓が開けられなければ、窓のところに取り付ける換気扇があった。
ウチもそれをつけていた。懐かしい。

カラーテレビは中学の時だったと思う。
ジャングル大帝のエンディングで、紅色の鳥がジャングルの上をたくさん飛んでいくアニメーションがきれいだった。

あのカラー画面は、時代の明るさを表していたのだろう。

誰もがほしいものがあって、それをいつかは手に入れることができた。

翻って、現在はどうか。
当時より確実に世の中は豊かになった。
クルマもクーラーもカラーテレビも世の中にあふれている。
しかし、イギリスで、国民の幸福度を調査した結果によると、日本は90位だという。
データーの信憑性は明らかではないが、上位の国はデンマークやスイス、オーストリア、バハマなど。

結局、モノの豊かさは本当の豊かさにはつながらない。
あれもほしい、これもほしい…、無限の欲望にとりつかれたら、それは不幸だ。
また、近所に金持ちがいて、あんなふうになりたい、と望む姿はやっぱり不幸だろう。

日本の経済成長が右肩上がりではない今、本当に幸せについて考えるべき時が来ているのかもしれない。

我唯足知、我ただ足るを知る。

なかなかそういう境地には行けない。




| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
本当のグローバル化
最近の新聞を見ていると、特にアジアに進出する企業が増えた。

インド、中国、タイ、ベトナム…、大きな企業だけでなく、そんなに大きくない企業の名前も出てくる。
そうこうしているうちに、留学生の採用という記事が出てきた。
中にはアジアの留学生を10人程度採用して、日本人の採用はしなかった、という企業もある。
彼らの方がやる気もあり、優秀だという。
そして、何より賃金が安い。
日本人一人の人件費で13人とか30人とか。桁が違う。(ただし、現地採用)

一方、管首相は「強い経済」「強い社会保障」と言って選挙で負けた。
それはそうだろう。
この2つは両立する、というか、させることができるが、それには順番がある。
まず、「強い経済」を実現することだ。そしてそれによって、税収を上げ、その次の順番が「強い社会保障」だろう。
同時にはできない。

しかし、そう言っているうちに、企業は利益を求めてアジアに進出している。
今までは生産基地としてだったが、今回はGDPも上がってきて、購買力もそれにつれて向上し、「市場としてのアジア」という視点になった。
いよいよ、日本企業の本当のグローバル化が始まったのだ。
すでに自動車やエレクトロニクスはやっていたが、もっと幅広くアジアの時代になった。

だから、雇用もアジアにシフトしていく。
公用語は英語、資料は英語という企業も出てきた。
そのうち、法人税が高いのを嫌って、本社も海外に移す企業も出てくるかもしれない。
情報化社会とか、知価革命とか、いよいよ本当になってきた。
日本に残るもの作りは、高付加価値のものだけ、という事になる。

しかし、これも韓国や中国を見ていると、不安になる。
キャッチアップのスピードが速い。
IT化によって、情報の伝わるスピードが速くなり、もの作りにおける「人」の重要性が下がったからだ。

昔はドイツをはじめ、もの作りには「職人」の力が必要だった。
マイスターというやつだ。
今では、それがなくても90点まではいける。
昔は、職人の力がなければ、70点くらいだった。
だから、日本人の手先の器用さや真面目さが強みになり、日本でしか作れないというものができた。

だが、それも世代交代が起こり、逆に定年した日本人が韓国や中国で重宝されていると聞く。
国策がないのも一つの要因だろう。
真剣に教えてもらおうとするアジアの人に対して、定年した日本人のベテランは熱意を持って教えることができる。
そういう使命感がある。

かたや日本では、空洞化という言葉も使われなくなるほど空洞化していく。

どうやってこの国は生きていくのだろう。

まだまだ昭和の遺産があるが、それが尽きるときにはどうなるのか。
ぼくらは平成の人たちに何を残すのか、いや、何が残せるのか。

そんなことを考えている。

本当のグローバル化が始まった。




| | 考えたこと | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0) |