考えたこと2

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安易な共感
阪神大震災は尼崎で被災した。
被災といっても、食器が割れたり、家具が動いたりした程度。
だから、避難もしなかった。
会社までの通勤は最初は自転車で大変だったが、そんな苦労は避難した人達を見ていると何でもなかった。

その時に避難所で暮らしている人たちは、本当に大変だと思った。
どれほどの苦労だったかは、想像できない。
ぼくが経験した地震と、避難所の人たちが経験した地震は違うものだ。
同じ時間を過ごしていても、安易に共感などできない。
安易に共感して「大変ですね」などというのは失礼なことだと思ってしまう。

同時代を過ごして、少し経験していても、そう思うのだ。
ましてや伝え聞きで共感するなど、信じられない。
理解はできても、その思い全てを共感するなど、ありえない。

何が言いたいかというと、去年も書いたが、原爆や戦争の語り部のことだ。
語り部がどんどん亡くなっていくから、それが問題だという。
だから、語り部の喋りを再現する人を新たな語り部として作るという。
よくそんなことが言えると思う。

それなら、語り部が語っているビデオやテープ、文字を使えばいいのだ。
なぜ生身の人間である必要があるのかわからない。
会場でビデオを流せばいいだけだ。
そのために、アーカイブというものがある。

その人になりきって語ることなど無理なことはわかっているはず。
それでも、そういう人を作りたいのだろうか。

これも、行政が今までと同じことを続けたいということの一環ではないか。

即刻そういう活動はやめるべきだと思う。



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