考えたこと2

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日本の大学
日経のコラムに、ドイツの大学の事が書いてあった。
それによると、ドイツの大学は3年制。
現在高校卒業者の半数以上が大学進学を希望するという。
ドイツがエライのは、これだけ希望者が多いと、全員が専門知識を生かせる仕事につくわけにはいかない、と判断していることだ。
多くの卒業生は、普通の会社で、普通の会社員になるしかない、と記事には書いてあった。

そのため、大学は2種類に分かれている。
普通大学(従来の大学)と職業大学という分け方。
これまで職業大学は、技能系に偏っていたのだが、ホワイトカラー系も拡充された。
いわゆる、就職予備校ということだ(そう公言しているかどうかはわからないが)。

大学は3年制で、職業大学の1,2年では座学でいろいろな職務を学ぶ。
人事、経理、総務、マーケティング、宣伝、営業などの5〜10種の仕事について、企業経験のある実務者を講師として迎えて指導するとのこと。
そのうえで、3年目は座学で選んだ職務の中から3つを選んで、2か月ずつ3回、合計半年の企業実習を行う。
記事の中にも、実習は、日本のインターンのようなお気楽なものではなくまともに実務をやらされる、とある。
最後の半年は3つの職務の中から1つを選び、振り返って論文にする、という課程。
大学生を増やすなら、社会が求めるものに形を変えなければいけないということだ。

日本でも、大学進学率は50%を超えている。
大学論でいうところの、大衆化が起こって久しい。
本当なら、ドイツのような対策を文科省が考えないといけなかったのだ。
遅まきながら、最近やっと大学の種類が増えて、専門職業大学というのを作った。
しかし、見ていると従来の大学からの転換というよりは、今までの専門学校が大学化するという状況だ。
これでは何にもならない。
90年代から、新設大学数が増加し、進学率の上昇を支えた。
それ自体は悪くないと思うが、今や問題が出てきている。

スイスのビジネススクールIMD(経営開発国際研究所)が公表する国際競争力ランキングを決める一項目「大学教育」で、日本は2017年調査対象の63カ国中の51位だった。
これは、各国のビジネスマンに自国の大学教育についてのアンケートをして、結果を順位化したものだという。
要は、国際競争力の観点からは、大学教育に対して、経営層からの評価が低いということになる。
今の経営者は、大学教育を受けてきた人たちが「使えない」と感じている。

低成長が続いて、どんどん会社は余裕がなくなり、即戦力が必要になっている。
さらに、グローバルに展開している企業は、海外の大学生も採っているから、比較もできるようになったのだろう。
ぼくらが就職した時代とは違う時代になった。

ぼくが学校法人で仕事をしていて感じることは、今の文系メインの中位以下の大学が、社会とミスマッチを起こしているということだ。
学部の名前は変わっても、教えているのは旧態依然とした昔の大学教育をベースにしている。
教授陣は「学問」や「真理」といった高邁な思想を持っている(これも怪しいけど)が、来ているのは実学が必要な学生たち。

とにかく、資格が取れる、という学部の宣伝。専門学校と同じだ。
実習はほとんどなく、ゼミも下位の大学ではほぼ機能していない。
4年制の大学でありながら、単位は3年間で取れてしまう。
最後の1年は就活をする。

さらに、大学入試を簡単にして、志願者を取りに行く。
科目は減り、それが高校教育にも影を落としている。
実質的に推薦やAOで早く合格者を集める。
下位の大学では、一般入試を受けて入るのは半数もいない。

たしかに大学をビジネスと見たら、そういうやり方はアリだろう。
でも、税金が投入されているのだから、もっと真面目にやらないといけないと思う。

さらに、文科省とべったりだ。
小学校、中学校の知識すら危うい学生が来ているのに、義務教育の批判をしない。
たしかに大学が真面目にやっていないというところはあるし、それらの学校の先生を養成しているのは自分たちだから言いにくい面もあるだろう。

それでも、大学がもっと義務教育をちゃんとやれ、と言わないといけない。

それが税金を投入されて、教育に携わる人たちの義務だ。

実際いろんな識者がそういうことを言っている。

精神科医の和田秀樹氏の言葉。
「現場経験のない理論派が幅を利かせる日本の事情」として、
「私は長らく精神分析を学んでいるが、3年弱アメリカに留学し 、その後も3カ月に一度、アメリカの尊敬する先生のもとに学びに行っている。
 そのときに痛感したのは、アメリカでは精神分析は患者から高い治療費をいただく客商売なので、患者さんのニーズや社会の背景、悩みの変化などに応じて、理論や臨床テクニックがフレキシブルに変わっていくということだ。一応、創始者なのでフロイトの原著には当たるが、その理論に囚われるより、どのように応用・発展させるかのほうが重視される。
 しかし、日本では、精神分析の学会のある学会ボスが留学経験もなければ、英文の論文もゼロ(私でさえ、査読を受けた英文の論文は3本あるのだが、実は日本人の現役の学者では、英文の論文がアクセプトされているのは、私の知る限り、2〜3人しかいない)という特殊事情もあって、私見では、およそアメリカでは通用しないような古典理論が幅を利かせ、学会に行くと、それに反するようなことを言うと「長老」の学者から非難される。」

G型大学、L型大学と言った冨山和彦氏の言葉。
「要するに、日本の高等教育がエリート教育機関になれないのは、教員のレベルが低いからとしか言いようがない。」
「アカデミズムから私への反論で、『すぐに役立つ技能はすぐ役に立たなくなる』というのがあります。しかし具体例は聞いたことがありません。簿記会計は、企業の活動を計量的に記述するビジネス世界の基礎言語であり、これなしに企業活動や経営について考えることはできません。その基本構造は数百年にわたって変わっておらず、すぐに役立ち、これからも長く役立つことは間違いありません。実学的な基礎技能こそが、教養中の教養なのです。大学でこのシフトが進まないのは、実務訓練を見下しているからです。おかしなプライドが、役に立たない学生の大量放出をもたらしている。現実を知ろうとしないアカデミズムの人たちこそ、『常識に欠ける』と言いたい。いま法曹、公務員、会計士などを目指す学生の多くが大学と並行して、専門予備校に通っている現実こそ恥じるべきです」

どうして、大学の中から、そういう批判が出てこないのか。
いまだに不思議に思う。


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